マブラヴの同志であるALPHONSEさんが好きな作品という事で『フリクリ』を視聴!
「この作品はロックなんだ」と言っていたけれど、確かに、そういったメッセージ性を凄く感じる作品でした
まあ、バリバリのにわかなので、あまりロックという言葉を使ってるといつか怒られそうな気がするのですが笑(自覚してるから怒らないでね!)
いわゆるロックと言われてる作品、シオリエクスペリエンス、MUSICUS、個人的に映画大好きポンポさんとか、四月は君の嘘とか、同じ文脈だと思うんですけど
こういった作品は
自分を突き詰める事、その中でそれ以外のものを捨てる(失う)こと
この2点は共通として描かれてる気がします
最近書いたのだとこの辺が同じ文脈(だと勝手に思ってる)↓
the pillows曲が多用されている作品なので、その辺突き詰めていくと分かるものがある作品だと思うのですが、SKET DANCEでFunny Bunnyを知ってるくらいの知識しかない私が少し調べても分かるものじゃないと思うので、割愛…
ストーリーの部分で感じた事を書いていこうと
ナオ太が好きだったマミ美とハル子は、二人ともナオ太を見てるようで、マミ美はたっくん(ナオ太兄)を、ハル子はアトムスクを見ていて
それに気づいてもなお、ナオ太は"たっくん"と呼ばれながらマミ美といることを最初は選んでいたわけだけど、4話で自信がつき、5話で心が折られ、最後は自分が子供である事を受け入れて、大人ぶる事を辞めた
ここのなお太の素直な告白に頬を赤らめるハル子のシーンがめちゃくちゃ好きです
等身大の自分である事で彼の言葉が届くようになったと
3話の"猫を被ってた"委員長の話がちょうど対比になってて、その委員長が言った6話の台詞
「素直に口に出して言えばいいのよ、私なんか大泣きながら言ったわよ、お父さんお母さんに」
当然だけどマミ美がナオ太兄を好きという結果は変わらなくて、それでも、彼女から見たナオ太の背中は大きく感じたっていう
マミ美が最後に「さよなら、ナオ太くん」と初めて名前を呼ぶのが凄く良い
もう"たっくん"の代わりじゃないのだ
大人ぶる事を辞めて、ありのままの自分を受け入れた事で大人に近づいたけど、好きな人は離れていったっていう皮肉みたいなラスト、でも、これってめちゃくちゃロックじゃない?
人によってはバッドエンドにも感じるかもしれないけれど、個人的には凄く良かった
兄の代わりでいる事を辞めて、自分を手に入れた結果、好きな子は離れていった
じゃあ、誰かの代わりを続けた先に本当に幸せはあったのか
いやあったかもしれない…でもきっと自分の幸せよりもマミ美の幸せって意味合いが強い気がする
個人的にはロックという文脈が入ってる事を思うとこの選択しか考えられないし、私も子供は素直で、等身大であるべきだと思う。
先日の推しの子の記事では自分を偽ることは重要だぜ!!って書いたけど、この辺はまた違う話
ネット上や、職場の中でも業務でしか関わりたくないような薄い関係では自分を偽ることが重要で、社会に出るとそういった関係の人はどんどん出てくる
でもそういうのはめちゃくちゃ神経を擦り減らしていくし、どこかで発散しないといけない
人間常に完璧ではいられないのだ、少なくとも私はそんな人に出会った事がない
推しの子でも完璧だったアイが45510で助けを求めていたように
家族や恋人、友達や仲間はなるべく自分の素をぶつけられる人でなければいけないように思う(個人的には)
長く続く関係っていかにストレスを感じないかが私的には大切で
無言でも気まずくない、一緒にいて安心感がある、不干渉が夫婦円満の秘訣って前テレビで言ってたっけ、まあ、気を遣わなくて済むのが一番じゃないかな、人によると思うけど
偽り続ける関係は深くなり辛い
そういう意味でも好きという感情を持った相手に対して、自分を貫くことを選んだゆう太を私は正解に思う
観る時期が早ければ早いほど奥深くにぶっ刺ささってきそうなそんな作品
ちなみに3話の委員長の話がめちゃくちゃ好きなんだけど
ラストシーンの伊達眼鏡はそもそも眼鏡を普段かけているって事自体が嘘なのか…コンタクトで舞台に上がったのか…どっちになるのかで解釈がかなり変わるけど、個人的には眼鏡そもそもかけてないんだわ!!って方が好きだなぁw
大人ぶってた子供っぽさが出てくるよね