気持ちのメモ帳

何故その作品を面白く感じたのか、日々考えた事を忘れないためのブログ。基本ネタバレなのでご注意を…考察はありません、全て妄想です。断言してる表現があったとしても、私は私が考えた事が必ず正しいとは思っていません。

『リコリスリコイル』と『水星の魔女』が描いている世界に対しての無力感

リコリスリコイルとガンダム 水星の魔女

この2作って主人公の描き方が同じ方向性の、ゴールが真逆にいると思っているんですけど

共通として描かれているのが”世界に対して私達ってあまりにも無力だよね”っていう感覚

 

若い人の投票率の少なさとか、私も人の事言えませんが世の中への興味のなさとか…大きなもの対して頑張っても無駄じゃね?って考えがあると思うんです、凄く個人主義というか、自分と自分の周りの幸せが第一優先だよねって感覚、それを描いてる

仕事でよく新人の教育担当になるのですが、趣味やプライベートが第一優先で、仕事は2の次、うちの会社もそれが一番のモチベーションに繋がるのを理解してホワイト化を進めていて、その傾向は年々強くなっていっていると感じます

 

リコリスリコイルがこの感覚に対して「自分の幸せが絶対優先!」って結論だったけれど、水星の魔女は「私達は無力だけれど、前に進まなきゃ世界は良くならないんだ」っていう結論

人の数だけ正しいがあるもの、いつか必ずどこかで間違うのよ、それでも出来る事をするの、この先も

 

後半のミオリネは大きな力を持っているからこそ、自分の力を信じて地球のスペーシアンとアーシアンの対立に手を出したわけだけど、途中まで上手く行き過ぎていたミオリネは、利用され、力を持つが故の重みを知り、動けなくなってしまった

 

その反面、学園に残りクーデターの時にみんなと助け合った事で、今まで母親に依存し自分の無力さを知っていてたスレッタは、たとえ小さな事でも目の前のことに対して進む事が出来たと

 

大人と子供の対比(視野の広さ)がよく描かれている水星の魔女だけど、大人に近づいた故に動けなくなってしまったミオリネと、子供の視点であり続けたからこそ前に進む事が出来たスレッタ

 

リコリコのアラン機関が

才能ある人は社会に貢献しなければいけない

という行動理念だったけれど

 

それだけでは人は前に進めないんだよっていうアンサーになっているように感じた

身の回りの幸せが第一で、それが人間の一番の行動原理になると

ペトロニウスさんがマブラヴは戦う理由が全て詰まっていると以前ブログに書いていたけれど、武ちゃんがまさにそうですね、世界のためだけでは戦い抜けない、だからこそ純夏っていう身近な立脚点が必要だったと

 

今季やっていたマイホームヒーローも同じ視点、社会的な立場よりも、自分の周りの幸せを、罪を償うよりも、自分と家族の幸せを取った

 

 

最終話前に出てた記事↓

yaraon-blog.com

こういう所ってネガティブな意見しか集まらないからあまり観ないんだけど、まあ、こういう感想になるのも分かる気がします

 

世界への無力感に対して、リコリコの「自分の幸せが絶対優先!」って結論は最初から「世界の問題なんてガン無視していくぜ!!ちさたきてぇてぇこそ至上主義!」ってスタイルだったから納得は出来るのだけど、残ってる問題が多過ぎてどこかもやもやは残る

対して水星の魔女は同性愛を違和感なく取り入れてたり、SNSを意識したような序盤の伏線とか、長く続いてるガンダムだからこそ視聴者の脳内補完を信用した描き方とか、過程は凄く今っぽいし、リコリコと同じ感覚を取り入れた上で「世界を良くして行かなきゃいけない!」っていう前時代的な結論に辿り着いてるから納得しやすいのだけど

でもその結論に関しては何度も繰り返されてきた感があるので、記事にある「なんだかんだ普通」って感覚ってたぶんこの辺から来てるんじゃないかなって思うんですよね

 

ガンダムくらいの作品になるとみんな新しい答えを求めてしまうんだなぁと。