気持ちのメモ帳

何故その作品を面白く感じたのか、日々考えた事を忘れないためのブログ。基本ネタバレなのでご注意を…考察はありません、全て妄想です。断言してる表現があったとしても、私は私が考えた事が必ず正しいとは思っていません。

【すずめの戸締まり】感想 時間が一番残酷で優しい

まだ全然まとまってないんですけど…一応の結論はだしておこうと、というか2回目を全力で楽しむために、とりあえず表面的な所はまとめておかねばとブログ書いてます。

 

結論から言うと、めちゃくちゃ面白かった…!!

あんだけ期待されてる中で、これだけの作品出してくるってほんと凄すぎる

 

お返しもうす…!!とかそこそこ大人な私でも言いたくなっちゃう台詞で、ああいう要素入れてきたのも流石だなぁって
グッズ売り場で買っちゃったよね…
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以前監督のインタビューで

鬼滅の刃』で起きた現象を見ると、みんなエンタメが欲しいんだなと感じたし、物語を見たり読んだり、触れたりする。歌を聴く。これらは人間にとって不可欠な事なのかなと。僕たちみたいな仕事からすると、それは凄く励まされることでした。

という話がありましたけど、今回の作風が今までよりもエンタメ感強かったのは、鬼滅の刃の影響が大きいのかなって。

まあそんな事はどうでもいいんですけど


今回映画館でも色んな世代を見かけましたし、また100億超えの凄い作品になりそうだな~という予感を感じさせる素晴らしい大傑作だったわけだけど、ただ、東日本大震災という題材が題材なので、好評な感想だけかというと、間違いなくそうはならないと思います。


アラームや地震の描写は間違いなくトラウマがある人は当時の記憶を呼び起こさせるでしょうし、私も茨城で被災した当時を思い出してドキッとしました。

一緒に観に行った友達も「東日本大震災をこれだけ真っ直ぐ描くのはまだ早い気がするなぁ」という感想。

ただ個人的には、11年という歳月が経ち、傷が癒えきっていない人もいる今だからこそ、新海監督はこの作品を描いたのだと感じました。

以下前提共有と結論


目次

旅の意味と閉じ師と記憶

すずめの成長と11年という歳月

結論


■旅の意味と閉じ師と記憶

君の名は、天気の子と、災害はどうしょうもなく訪れるし、大切な人を犠牲にしてまで世界を救う事はないよねって所で、今回それを止めるという話は、公開前からなんとなく情報が出ていたわけだけど、もしかして今までの結論変えるのか?と思いきや、日本よりも草太をとったすずめとか、最後はやっぱり神頼みな所とか、やっぱり同じ所に行きついてて、なんというか、結論がファンタジーじゃなくて凄く好きです、好感しかない。
最後封印する際の台詞も印象的でしたね

命が仮初だとは知っています、死は常に隣にあると分かっています。それでも私達は願ってしまう。今一年、今一日、今もう一時だけでも、私たちは永らえたい!
猛き大大神よ!どうか…どうか…!!お頼み申します──!!

そういうどうしようもない災害は、日本という国に住む以上、切っても切り離せないもので、これから数十年以内には南海トラフ巨大地震、首都直下型地震がまず間違いなくあるだろうと言われてる。


今回すずめが旅をした土地というのがまさにそれで

南海トラフの範囲にある宮崎、愛媛、兵庫

首都直下型地震の東京

2011年の東日本大震災で甚大な被害を出した宮城県

 

今後間違いなく大きな震災が起きる場所、起きた場所になっている。

 

つまりこれから失われる土地という事なのだけど、行く先々すっごく綺麗に描かれてるんですよね。

冒頭すずめが言う「綺麗」というシーンもけっこう印象的です。

ここは後半自分の地元に帰った時の「これが…綺麗?※うろ覚え」って台詞が対比になってるわけですけど、視点の話ですね。

そして各所にある廃墟というのは、その土地の未来を表してるんじゃかいかなと思うのですが、そこでミミズが出た際、扉を閉める条件というのが

"そこにあった景色や想い、感情を思い浮かべ、声を聴く事"

人がいなくなった場所には災いの扉が開く。

これはすずめに、新しい出会いや、そこにあった街を、そこにあった想いや景色を、"幸せな記憶"を忘れないで欲しいという意味を込めてるんだと思います。

だから鍵を閉める条件に加えたんじゃないかなと。

 

 

■すずめの成長と11年という歳月

2011年3月11日の東日本大震災から11年後の11月11日に公開された本作
作中では12年という歳月が経っている事が小説で分かるのですが、この11から12という数字に凄く意味があると思っていて

 

すずめは最初子供の頃の記憶を失っていて、日記も黒く塗り潰されている。

これは震災にお母さんが巻き込まれて、どうしようもなく来る絶望から常世(死の世界にいた)にいたというのを描いているのだと思うんですけど

 

過去の自分に対してすずめの言った台詞

今はどんなに悲しくてもね、すずめはこの先ちゃんと大きくなるの。だから心配しないで、未来なんて怖くない!

あなたはこれからも誰かを大好きになるし、あなたを大好きになってくれる誰かとも、たくさん出会う。今は真っ暗闇に思えるかもしれないけれど、いつか必ず朝が来る。

私は、すずめの、明日

子供って、家族や学校、狭い町が世界の全てで、子供のすずめは震災によってその全てを失っている状況なわけだけど


高校生になった彼女は、それが世界の全てではないというのを、新しい家族や、友達、旅を通しての出会いや、草太という大切な人が出来たおかげで知っている。

 

結局心の傷を癒す方法っていうのは、辛い記憶を過去にする事、新しい大切なものを見つける事でしか癒す事が出来ないと。

ちなみにこれ、人によっては残酷だと感じる人もいると思うのですが…たぶん映画を観たあとに個人的に感じたもやもや感みたいなものって、ここから来ているように感じました。

 

この作品見ながら思い出していたのは、君が望む永遠

『時間が一番残酷で優しい』

という台詞

 

過去を過去にするにも、大切なものを見つけるにも、それには時間が必要で、ここで11年という数字に意味が出てくる。

 

作中では2011年という過去から一歩抜け出したすずめの成長を、12年経過という1年進んだ数字で描かれているのが、過去を乗り越えたという暗示になっているという、この作品において凄く意味のあるものになっていて素晴らしかった。

 

そうなってくると、始まりの1が重なる2011年という数字にも意味が見えてきますし、監督の集大成であったすずめの戸締まりの公開年数が、22年という次の数字になっているのも、ここから次へ進むよ、という意味を感じる。

 

これはすずめの成長という意味でも、新海誠監督の災害というテーマ的にも、そうなんじゃないかなっていう勝手な解釈(笑)

 

きっと本当に描きたかったであろう地震という核心の部分に触れる事が出来たのは、11年という時間の経過が人の心を癒やしたというのがやはり凄く大きいように感じるし、数年後に公開するであろう新作で災害を描かない事によって、そこからの脱却を示して、新海誠監督のメッセージは完成するんじゃないかな。

 

■結論

日本に生きてる限り、今後も待ち受ける大災害、首都直下型地震南海トラフ地震、そういった辛い出来事が起きた時に、誰も悪くないんだと、自分も辛かったと認められるように、それに捕らわれ続けず、なんなら忘れたっていいんだって

でもいつか思い出した時に、辛い出来事だけじゃなく、すずめがお母さんとの思い出を思い出せたように、綺麗な景色や幸せな記憶を思い浮かべる事が出来るようになって欲しいと

きっとそれには多くの時間を過ごして、新しい出会いや、大切なものを見つける事でしか克服出来ないから、だから今に絶望せず、前を向いて歩き続けて欲しい、きっとそうすれば幸せに思える日が来るはずだよって


だって私達日本人が、100年の間で何度も大地震が起こるようなこんな不安定な土地で住む理由は、綺麗な景色や、そこに住む大切な人、たくさんの人が繋いで残してくれたものがあるからだと、この作品で伝えたかったのはそういう事なんだと思う。

 

多くの出会いや、大切な人、草太との出会いで記憶を取り戻すというのは凄く納得の結末でした。

 

 

 

過去に捕らわれ続けず、今を大切に、そのためには違う大切なものを~というのは、先日観た映画"夏へのトンネル、さよならの出口"でも描かれていましたけど、やっぱり同じ結論に行きつくんだなと。

 

日本人なら誰しもが経験した、するであろう地震という災害に対して、その時が来た時に絶望せず、前を向いて欲しいという監督からのエールを感じる作品でしたね。

 

12月前後で2回目を観に行くと思いますが、色んな角度から観れる作品なので、次もどんな発見があるのか凄く楽しみです!

 


■雑談
・死というゴールが、喪失がある中で、なぜ深淵を目指し続けるのかというのがメイドインアビス
このクソみたいな残酷な世界で、なぜロックをするのかというのがMUSICUS
この辺の作品も、だって世界はこんなにも美しいんだぜっていう、同じ答えをだしてるわけだけど、この辺の価値観って災害の多い日本特有なのかもな~と


・草太が要石になった時に、ここから時間をかけて神になるという話をしていたけど、ダイジンも左大臣も元は人間なんでしょうね

ダイジンは子供の、左大臣は大人の声と対照的だったわけだけど

ダイジンはね、すずめの子にはなれなかった。

って台詞、すずめに母性を求めてたのかも?と


天気の子で人柱の描写がありましたけど、ダイジンもそうだったのかもしれないですね
そう考えると、優しくしてくれたすずめに懐いたり、草太に役目を押し付けちゃう気まぐれさも納得出来ます


すずめが環さんに、あたしの時間返してよ!って言われた時、ダイジンがシャー!と威嚇してたのは、自分も過去に親に人柱にされた時の記憶が蘇って、すずめと通じるものがあったからなのかもしれません。