気持ちのメモ帳

何故その作品を面白く感じたのか、日々考えた事を忘れないためのブログ。基本ネタバレなのでご注意を…考察はありません、全て妄想です。断言してる表現があったとしても、私は私が考えた事が必ず正しいとは思っていません。

ヲタク的な解釈で宗教の必要性を自分の中に落とし込めた話

私の家族は「宗教は悪徳なもの!絶対NG!」だったので、私自身もそう教えられ、お金を搾取られる怖い存在!というイメージがありました。

それもあって今でも宗教には入っていませんし、たぶんこれから入ることもないと思います。

ですが、今まで否定するだけだったものが、これなら理解出来るなと、自分の中に解釈を得たという話。

まずセンシティブな話なので先に言っておきます、私は私の考えが正しいとか、そんな事は微塵も思ってません、そもそも宗教に入ってないのでただのにわかです。

でも歩み寄ることが出来そうという話なので、まあ読まれることはないと思いますが、宗教ガチ勢の方がいましたら、ポジティブなものとして読んで頂けると幸いです。

 

以下本編

 

宗教について調べてみると、だいたい共通として書かれていることが多いのはこの3つでした。

 

1,死に希望を持たせる

2,生きる意味を与える

3,コミュニティとしての役割

 

今回は3,コミュニティとしての役割について話をしていきたいと思ってます。

 

最近推しは現代の宗教なんじゃないか?という記事を見かけるようになりました。

toyokeizai.net

推しと宗教は似てるんじゃないかと、確かに、記事にもありますが宗教用語をヲタクは使う事が多いです。

宗教の代わりになるのは、推し活ではないかと考えられるわけです。推し活で使われる「聖地」「布教」「お布施」「尊い」などの言葉は、宗教的な意味を含んでいますよね

なるほど、宗教をヲタク活動に重ねてみれば理解出来るのかもと、私の中で解を得ました。

 

ここからは超ヲタク的な解釈で話を進めます。

 

例えばマクロスが好きな人たちの集まりがあったとして、それぞれ好きなキャラは違えど、根本の好きな作品は同じ、それが宗教的コミュニティなんじゃないかなと。

 

マクロス派、ガンダム派、ゲッター派、エヴァ派etcがそれぞれ国や団体を作ってる。

そう思えばなかなか面白いです(笑)

 

全く同じ人間はいません、好きなもの、嫌いなもの、体格や性格、違いは必ず生まれるものです。

でももっと根底にあるものが同じだから、家族、仲間、隣人として一緒にいられる、その根底にあるものが宗教(という個人的解釈)

 

これがそもそも相手の好きな作品が分からない、もしくはないというのが宗教に入ってない状態なのだとすれば、コミュニケーションや相互理解の難しさがよく分かります。

 

宗教に入ってる人は根本にそれがある、あの人がどんな人なのかは分からないけど、でもマクロスは好き、じゃあそれだけで仲間じゃん!と。

根本の価値観が共有されてるわけです。

 

そう考えればとても理解しやすい。

 

でもマクロスも色んな作品、解釈があります。

「初代こそ至高!」「フロンティア観てないとかマジ?」「ダイナマイッダイナマイッ」「Δのライブ行ったことあんの?飛ぶぞ」

そんな人達が対立するわけです、あるある、あるよねーと…

 

価値観の相違はとても大きいです、それを見極める材料として根底に宗教があるというなら、よく分かります。

日本人は宗教に疎い人が他の国に比べれば多いという話もありますが、日本人が「空気を読む」事を重視しているのも、宗教という大きな共通項、相手の根底にあるものが分からないからなのかもしれないと、そんな繋がりもありそうで面白いです。

 

まあ今はヲタク的な解釈ですが、それが神様、生まれた意味や生きていく意味、国が出来たきっかけ、救いを求めるものなのだとすれば、生きていく上でとても重くなっていくというのも分かる話です、それこそ戦争をしてしまうほどに。

 

話は変わりますが、先日「葬送のフリーレン」でこんな話がありました。

「ハイターって変わったよね、大人っぽくなった」

「年を取ると自然とこうなるんですよ…と言いたい所ですが、本当は私の心は子供のころからほとんど変わっていません。理想の大人を目指して、大人のフリをして、それを積み重ねてきただけです。きっと私は死ぬまで大人のフリを続けるでしょう。子供には心の支えになる大人の存在が必要ですから、特にフェルンは努力家です、たくさん褒めて導いてあげないと。」

「それじゃあ、死ぬまで大人のフリを続けたハイターは誰が褒めてくれるの?」

「そのために女神様がいるんですよ。」

個人的にこの話はけっこう衝撃で、そういう救いの形もあるんだと、言われてみれば確かに分かるのですが、宗教に対して求める救いはもっと神秘的なものだと勝手に思い込んでいたので、一気に身近に感じることが出来ましたし、このブログを書くきっかけになってます。

私も年齢的にはそこそこ大人になってきて、人間どこまでいっても奥底にあるものは変わらないんだなと感じるようになりました。

感覚としては18歳くらいのままで、大人のフリをすることに疲れづらくなってるだけのような気がします。

子供が3人いる10歳年上の姉がいるのですが、姉も大学卒業あたりから何も変わってないと、そんな話をしました。

このままきっと進んでいくのだと思います、きっと両親もそうだったのだろうと、感謝しかないですね…

話それました、なのでハイターのいつまでも変わらないという台詞はよく分かります。

人間いつまでだって褒められたいですし、認めてほしい、でも大人になればなるほどその機会は減っていき、自分が認めてあげる立場に変わっていきます。

じゃあ、そんな人達は誰が褒めてくれるのか。

現代ならSNSがその役割を担ってくれると思うのですが、それに疎い人、なかった時代、フリーレンの世界観ではそうはいきません。

年も取らず、奇跡を起こし、人間には絶対に超えることの出来ない、見守ってくれている存在。

私にとって神様は奇跡を求めるものだと思っていたのですが、そういう見方もあるのだと視点が変わりました。

救いというのは色んな方向性があるのだと。

この辺は最初に話をした1,死に希望を持たせるって所ですね。

 

宗教で秩序を保つって話もよく聞きますが、この解釈なら納得出来ます。

ルールは守るよりも破ることの方が簡単です、それでも頑張れるのはだれかの目があるから、宗教に入ってる人にとってはそれが神様なのでしょう。

 

そんな感じで、私の育ってきた環境では否定するだけのものだった宗教が、自分のヲタク人生に重ねたら歩み寄ることが出来た、という話でした。

 

実際入ってる人からしたら「全然違うわ!!」って言われちゃうのかもしれないですけど(笑)

マイナスな解釈じゃないので許してくれると嬉しいです!