気持ちのメモ帳

何故その作品を面白く感じたのか、日々考えた事を忘れないためのブログ。基本ネタバレなのでご注意を…考察はありません、全て妄想です。断言してる表現があったとしても、私は私が考えた事が必ず正しいとは思っていません。

人は変えられない、だからこそ、自分が変わるしかない

何かやろう!と思うと、自分の中で問答が始まる

 

必ず否定してくる自分がいて

「それって本当に正しいの?」「そもそも正しいってなに?」「なんのためにやってるの?」「めんどくさくない?」「やったって意味ないでしょ」

頭の中の自分はいつも辞める理由を探してる

 

繰り返されればされるほど、何が正しいのかわけがわからなくなって頭がおかしくなりそうになる

 

ツイート1つしようとした所でこの問答が始まる事も多い

 

ガチガチに固まっていって、何も動けなくなる気がして

だからやろうと思った事は基本曲げない

最初の気持ちを信じて動く

まあそうなると、体感で9割以上は…成功してるように思う。

 

でも空振った時が痛い

あの時反論してきた自分が追い縋ってくる

「だから言ったじゃん」「やらなきゃ良かったのに」「お前は間違ってる」

 

きっといつだって正しくありたいし、自分は間違ってないんだって思いたいんだと思う、その根本にあるのは傷付きたくないという気持ち

喧嘩の多い家族だったから、傷つくような事が基本的には嫌いだった

でも失敗から学ぶべきという自分もいる

これまで仕事で失敗を恐れずやってきた結果、成功に繋がっている事が多いから

 

就職して1年目から死ぬかと思うような体験をした

パワハラを受けて、眠れなくなって、電話の音がトラウマになった

休みの日に昼寝をしていて、起きたら先輩からの着信が何十件も来てる、電話を返すと怒られ、休みが怖くなった

でもそんなパワハラ上司が無免許運転で捕まり、いなくなった

やった!!って思った矢先、次に降ってきたのは責任だった

高校卒業したて18歳で店の半分の責任者、あまりに重過ぎる、人手不足ここに極まれり

朝から晩まで仕事して、周りに頼れる人もいなかった

 

だから自分が成長するしかなかった

 

嫌だ嫌だって、そんな気持ちを優先してたら、会社も、18歳の部下になってしまった人達も、私も、みんな損をする

 

たぶんそこで今の考えが生まれたんだと思う

1度決めたら曲げない、自分の気持ちは2の次

まずはどれだけ面倒でも、必要だと感じた事をやる

 

責任感があるって言われる事もあるけど、そうじゃない、それだけ周りに頼れる人がいなかった

 

でも自分がやらなきゃって動いて、これで散々失敗もした

失敗を重ねて、重ねて、重ねて、またその度傷ついたり、傷つけたり、その結果、そこそこ成長したように思う

感謝もたくさんされたし、それは1つの大きな原動力だった

頑張って良かった、報われた、人に感謝されるっていいなって

接客業を続けてるのもこれが理由

 

そして失敗しないやり方も学んだ

私が昔いた会社は、責任感はあればあるほど損をするように感じた、これは今の仕事もそうかも

仕事は出来ると思われない方が楽だし、新しい事は学ばない方がいい

でも失敗をしないやり方は成長にも繋がらないという事も分かった

学ばず、人の足を引っ張り、失敗をしたら周りに責任を擦り付け、努力をしない、そんな人をたくさん見てきた

ああはなりたくない、そう思った

 

そういった事があって、今の自分と昔の自分がずーっと頭の中で戦い出すのだ

 

「負けるな!やると決めたろ!」「そんなことやったって責任が増すだけ、傷つくだけだろ、辞めちまえ辞めちまえ」

まさに天使と悪魔

 

私は私のこれまでを信じて、感謝されたくて、誰かのためになると願って、自分の成長を願って、損をしてでも面倒くさいやり方を、天使の声を選んでしまう

 

やり方はその時々でそれぞれだ、接客業は色んな方へ対応しなければいけない

基本は気持ちよく帰ってもらう事が大切、だから笑顔で、愛想よく、相手のために動く

私もこの方法が一番好き、家族の事もあったから、やっぱり人生は楽しくあるべきだとそう思う

でも、そんな人達だけじゃない、ときには毅然とした対応をとらなければいけない事も多い

自分の考えしか理解出来ない人には、多少強引なやり方でもこちらの意思を伝えないといけないと思う事もある

相手が何を考えているのか、欲しい言葉は、目的は、想像して、経験に当てはめて、実践して、反応を見る

間違ったらその都度対応を変えて、この繰り返し

性格が変わったように見える事もあるらしい、私は私のままなのにね

あなただって人によって態度を変えるでしょう?それの延長線上

相手が人間である以上、決まった正解なんてない

どこかの誰かさんは軸がないとか言い出しそうだけど(笑) 

私から言わせればそれは上に立つ人間のセリフなのだ

そんな事を考えていると頭の中の自分が反応してくる

「でもそれは決して悪い事じゃないと思う、上に立つ人間や物書きはブレない軸がある事が大切なんだよきっと」

んなこたぁ分かってる、でもムカつくものはムカつくんだ、そんな考え現場にはいらねぇ

 

話ズレた…少し戻して

 

その結果の打率9割、たくさん失敗もしてきたけど、まあ、結果としては悪くない

でも1割を引いてしまった時のダメージが計り知れないのだ

だって、私の原動力にはいつだって、誰かのためという承認欲求(なんだと思う)が含まれているから

その誰かや、周りから、お前は間違っているって言われる

待ってよ、私はこんなに嫌で嫌で嫌で嫌で嫌な思いをして動いてるのに、あなたのためにやったのに、なんで分かってくれないの?って

 

本当に辛い、こんな生き方意味ないなってつくづく思う

誰かさんにはサイコパスとか言われるしね

まあ、最近もそんな事があった

 

そんな時に『ブルーロック』という作品を読んでいたのだけど、自分勝手にサッカーをする馬狼というキャラのせいでチームが負けている場面

そんな状況に痺れを切らした主人公が「周りと連動してみんなで勝とうよ」というシーンがあるのだけど、状況的に考えれば馬狼が周りに合わせれば勝てる場面、私も「どうやって馬狼が協力してくれる流れになるのかな」って期待してた

でも、馬狼の返しがあまりにも衝撃だった

「そりゃお前のやりたいサッカーだろ」

 

私が言われている気分だった

 

そうか、私も正しさを武器に私は私が正しいと思ってる事を相手のためと勝手に押し付けてるだけなんだって

 

昨年アニメのアンチと口論になった事もあった

アンチ活動よりも、褒めることでクリエイターのモチベーションを上げる事が良いことに繋がるだろうと話をしたが、伝わる事はなかった

その場はお互い引いて終わったが、よくよく考えて見ればアンチはアンチで「悪いは悪いで伝えないといけない」って、それが良いことだと思ってやっている(もちろん承認欲求や自分の感情をただ吐き出しているだけというのも大きいと思う)

 

私が言っている事が仮にそれがどれたけ正しかったとしても、相手のためにはならないのだ、だって相手も自分がやっている事が正しいと思っているから

マブラヴの12.5事件を思いだす

結局私もアンチもやってることは同じ、自分の正義を信じて動いてるだけ

もっと言うと、自分がやりたいことをやってるだけ、それが正しいという大義名分が欲しいだけ

 

昔会社の先輩に言われた言葉がある

「人間30歳になったら変わらない」

 

本当にそう思う、結局自分は自分の正しいと思った事のためにしか動けないのだ、そしてその正しさは人生をかけて積み上げてきたもの、なかなか変わるものじゃない

変えようと思ったって、ネット上や、関係値の薄い人間からの言葉は特に響かないし、響くわけがない

 

人に期待して、自分の考えをおしつけて、勝手に裏切られた気分になって、もうそういうのは、本当に懲り懲り

そもそも人を変えようというのがおこがましい

誰かのためという大義名分なんて捨てた方がいい

 

少し戻るが、先程の『ブルーロック』、自分の思うようにしか動かない馬狼に対し、主人公の潔世一が出した結論がある

「自分が変わるしかない」

前の会社で誰にも頼れる状況じゃなかった時に、必死に勉強してた事を思い出す

本当に、本当に、この潔世一という男は私なんだ!!って心底思った

結局誰かに期待するなんていうのは無駄で、何かをしたい時、変えたい時は、まずは自分が変わるしかない

その上で変わらない人達を利用するしかないと

 

人は変わらないし、変えられない、変わった所で、自分がしてきた努力には見合わない

もう悩んで結論を出す事を辞めようと、少しは悪魔の声にも耳を傾けようと思う、人に勝手に期待して、裏切られた気分になって、もうそんなのは懲り懲りだから、私は私が努力出来る範囲内で、やれることをやるだけ

 

もちろん全てに対してじゃない、家族や友達、同僚、後輩、好きな人達には恩返しをするし、それは私が損をしても、傷ついても、力になりたいと思う

 

私は私の人生に深く関わりのない人達にまで手を伸ばす事は、もう辞める

私も相手も、きっとこれは誰のためにもならない

顔も知らない、関わりの薄い相手に言われても、結局何も響かないし意味がないのだ、そう考え直した

 

この決断も、私が傷付きたくない、こんな事を辞めたいという頭の中のせめぎ合いから来ているのだろう

今回は悪魔が勝利したということだ

とてもいい、もう少しだけこいつの言うことは聞いてやってもいいかなって、そう思う。